医療も感染症も知らない僕が、
コロナ対策本部へ
2020年2月、横浜港に寄港していたダイヤモンド・プリンセス号内にて、国内で初となる新型コロナウイルス感染症の陽性者が確認された(詳細は映画『フロントライン』を是非見てほしい)。
映画『フロントライン』
2020年2月、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内で起こった新型コロナウイルスの集団感染。その未曾有の混乱の中で奮闘した災害派遣医療チーム(DMAT)の奮闘を描いた映画。2025年公開。
当時、僕はまだ視聴者の一人であり、ニュースで未曾有の病原体について報道される中、どこか他人事のように感じており、2期目であった会社の売上確保に奮闘することで日々精一杯であった。
1ヶ月が経過し徐々に陽性者が増えていく中、共通の知人を通じて畑中氏から連絡をもらい、神奈川県庁に伺うことになった。
医療のことも知らない。感染症のことも知らない。県庁職員を誰一人知らない。
そんな自分に一体何ができるだろうかと、拳銃を持った米兵に竹槍一本持って戦いに挑む日本兵も同じ気持ちだったのではないかと、そんなことを考えながら県庁に向かった。
15分の会議から始まった
『神奈川モデル』誕生の裏側
何を準備したら良いのかわからなすぎて感染症法だけ一読して登庁した僕に最初に与えられた役割は、新型コロナウイルス感染症に関する課題と対策の整理だった。
と言っても感染症の知見もない自分が斬新な解決策を持っているわけでも、何でも治療できるゴッドハンドを持っているわけでもなく、畑中氏の考えを聞いてそれを高速にドキュメントに起こすことが自分の仕事であった。
15分程度の会話をして、早速資料作成に取り掛かった。その資料は後に『神奈川モデル』と呼ばれ、全国の自治体が神奈川モデルを参考にコロナ対策を検討することになる。
ハイ…
〈実際に登壇初日に作成した資料〉
初日に作成した資料はその日のうちに知事室で議論され、週末には厚労省にも共有されていた。
初日に作成した資料がベースとなったコロナ対策の概念図「神奈川モデル」。後に多くの自治体に共有されることになる。
ITがなければ回らない。
県のコロナ施策システムを構築
対策の方向性が定まったら、その施策を具体的に進めなければならない。それも高速に。
神奈川県では、宿泊療養、自主療養、抗原検査キット配布、感染症対策取組書など、独自に施策を打ち出していった。そして、そのほぼ全てにITが必要不可欠であった。
神奈川県新型コロナウイルス感染症対策本部の様子。医療体制の整備や住民説明など、コロナ施策が次々と動き出す。その裏側ではITによる情報基盤整備が急速に進められていた。
神奈川県は早々に、サイボウズ社が提供するローコードサービス「kintone」の導入を決定し、それを情報基盤として活用していた。kintoneの開発経験があった私は、2020年5月頃から徐々にIT支援の方に携わることになる。
開発したシステムの概要については割愛するが、施策のほぼ全ての開発に携わり、企画・要件整理・設計・開発・運用・マニュアル作成など、全工程を必死に処理していった。
- ・感染防止対策取組書
- ・発熱等診療予約システム
- ・自主療養届出システム
- ・転退院調整支援システム
その他、ドキュメント類は僕以外の職員も作成できるようテンプレート化し、業務フロー図の作成支援なども行った。徐々に体制が強化され、単身で取り組んでいた開発も、職員の方とチームで遂行できるようになっていた。
神奈川県のコロナ対策の件、動画と記事で詳しく見れます
コロナ対策に携わる3年間で
僕が得たもの
あっという間に3年が過ぎ、飲み会も開催される程日常生活に戻りつつあった。
神奈川県在住の僕が、神奈川県庁から帰れないという過酷な時もあったが、これだけ頑張れたのは明確な理由がある。この仕事は、僕にとって「光栄」なことだったのだ。
僕は25歳までフリーターで、ワークログを設立するまでに3社経験がある。不動産から始まり、人材紹介、コンサル、ITと業界を転々とし、客観的に見ればジョブホッパーと言われエージェントからは煙たがられる存在だ。
そんな僕が、「神奈川県」というある意味海外からも認知されている大企業から、しかもコロナ対策という命に関わる重要なミッションに携われるなんて、大変名誉なことだ。手上げして参画できるわけじゃない。しかも1日だけではない、数年にわたって関わるというのは、大きな自信になった。
今まで日陰を歩いていたのが、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、胸を張って太陽の下を歩いても良いのかな、そう思えるようになった。
神奈川県にはそう恩を感じながら、この経験を次にどう活かすべきか、そう考えていた時に事件が起きた。