TALK

ともにワークログをつくってきた藤田が聞く、
山本純平のこと

長く一緒にやってきた相手だからこそ、今さら聞きづらいこともあるし、逆に今だから聞いてみたいこともあります。

前職『ウフル』で出会ってから『ワークログ』の立ち上げ、そして今に至るまで、山本さんとはいろんな転機をともにしてきました。

今回はあの時どう思っていたのか、今振り返るとどう見えているのかを、改めて率直に聞いてみました。

前任の代表が退任した時、何を思っていたのか

まず最初に聞きたいのが、やっぱりあのタイミングのことなんですよね。『ワークログ』って、最初から僕と山本さんの2人で始めたわけじゃなくて前任の代表がいて、そこに山本さんが入って、さらに僕が加わった形だったじゃないですか。

あの時、前任者が退任することになって、会社を畳むとか、怒りとか、重圧とか、いろいろあったと思うんですけど、実際どんな気持ちだったんですか。

ああ、あの時ね。

もともと『ワークログ』は3人で立ち上げた会社で、僕は2番手、副社長として入ってたんですよね。

当時の代表が別の会社の役員に就任することになって『ワークログ』での稼働が取りづらくなったと。そこで3人で話した結果、急きょ退任することになった、という流れでした。

しかもその時、ちょうど神奈川県のコロナ案件が始まったタイミングで、仕事としてもかなり忙しかったんですよね。

そんな中で代表交代が起きて、手続きもしなきゃいけないし、前の代表から業務も引き継がなきゃいけないし、会計のデータどうなってるんだとか、そういうことも含めて一気に対応が必要になって。

藤田さんともかなりバタバタしてましたよね。

心境で言うと怒りはやっぱりありましたよ。

「何のために『ワークログ』を立ち上げたんだっけ」とか、失望とか呆れみたいな感情もあったし。突然だった分、その感情は結構大きかったです。

ただ、その一方で反省もあります。

当時の僕は代表がやりたいことを実現するのが自分の役割だと思ってたから、かなりイエスマンだったんですよ。

別会社の役員に就任するっていう話も事前に聞いてたのに「すごいですね」「何か一緒にできるといいですね」みたいな感じで、割と安直に受け止めていたんです。

本当はその時点でもう少しちゃんと考えて『ワークログ』での稼働がどうなるのかとか、もしこうなったらどうするのかとか、僕らからもちゃんとコミュニケーションを取るべきだったし、必要ならブレーキをかけるべきだったなと思ってます。

だから今振り返ると相手が悪かっただけじゃなくて、自分にも至らないところがあったなっていう感覚の方が強いですね。半々か、むしろ反省の方が大きいかもしれないです。

あの時、藤田に何を求めていたのか

あの時って本当に急だったし、コロナの状況もあって「これからどうしよう」って空気がかなりありましたよね。

僕も誘ってもらった立場ではあったんですけど、山本さんとしてはあの時の僕に何を求めてたんですか。

正直、あの時はそこまで考える余裕がなかったですね。

まず第一に考えてたのは今いるお客さんに迷惑をかけないことでした。特に神奈川県の案件が大きかったから、とにかくそこをちゃんとやろうっていうのが先にありました。

その頃って、僕らそれぞれの役割もまだそんなに明確じゃなかったじゃないですか。

来た仕事をその時あるリソースでとにかく回す、みたいな状態だったから「ここをお願いしたい」っていうよりは「とにかく一緒にやろう」が一番近かったと思います。

ただ、藤田さんってもともとは自社サービスを作る流れの中で入ってもらってたから、そこへの思いが強かったのも覚えてるんですよ。

だからそこに対してはちょっと申し訳なさもありました。「ごめん、今はクライアントワークを優先しよう」っていう気持ちでした。

もともとやろうとしてたことからは一回外れて、まずは目の前の仕事に集中する時期でしたもんね。

神奈川県の案件を一緒に回した時間が今につながっている

でも、今振り返るとあの時に神奈川県の案件を一緒に回せたのは大きかったなって思うんですよね。

ホテル泊まり込みみたいな感じでやってましたし、あれが別々の案件だったらまた違った気がしてて。

それはありますね。

僕ら基本リモートじゃないですか。だから普段はそんなに顔を合わせないし、あの時みたいに物理的に一緒にいる時間って結構貴重だったと思います。

そうなんですよね。

県庁で一緒に仕事しながら会社の話とか手続きの話とかもしてたじゃないですか。「俺、明日ちょっと役所行ってくるわ」みたいなことを言いながら。

言ってましたね。

「代表変更の手続きが必要らしい」とか「知り合いの司法書士に連絡するわ」とか、ほんとそんな感じで仕事と手続きが全部同時並行で進んでた。

あの時、手続き関係は山本さんが強かったんで、そこはかなり心強かったですよ。司法書士の勉強してたのが効いてましたよね。

勉強してたこともそうだし、知り合いがいたのも大きかったです。あのタイミングでちゃんと役に立ってよかったなとは思いました。

司法書士を目指した理由とフリーター時代のこと

その流れで聞きたいんですけど、山本さんって慶應の大学院を出ていて、一時期は司法書士を目指してたじゃないですか。

その後フリーターの時期があった。その時期って僕の中で意外と知らない時期なんですよ。何を考えて、どんな日々を過ごしてたんですか。

あそこはね、正直人生の中でもかなりきつい時期のひとつでした。

そもそも司法書士を目指した理由は大きく2つあって、ひとつはエンジニアで心が折れたことです。

大学では情報系でプログラミングもやってたんですけど上には上がいるなっていうのをかなり早い段階で感じて「このままじゃ勝てないな」って思っちゃったんですよね。

だから大学院に進みながらも次の道を考え始めました。ただ、研究自体はやりたかったから並行して進められるものって考えた時に資格かなと思ったんです。

じゃあ、なぜ司法書士だったのかというと当時かなり精神的に落ちてたのが大きかったですね。

大学の頃、ちょっとうつっぽくなった時期があって、その時に周りの人にすごく助けてもらったんですよ。優しくしてもらったし、救われた部分も大きかった。

だから仕事のイメージはまだ持てていなかったけど「誰かの役に立ちたい」「人助けをしたい」っていう気持ちだけは強かったです。

最初に資格職として思い浮かんだのは弁護士だったんですけど、ロースクールに行くのは現実的じゃない。そんな時に本屋で資格の本を見て、弁護士の次のページにあった司法書士っていう仕事を知ったんです。

それで法律の本を買ってみたり資格学校を体験してみたりして「この勉強なら続けられそうだな」と思って目指し始めた、っていう感じですね。

なるほど。

でも、そこからは本当にきつかったです。

徹夜で論文書いて、その足で法律の学校に行って、そのままファミレスで朝まで勉強して、また次の日も同じことを繰り返す、みたいな。

フリーターになってからは、毎日12時間から14時間ぐらい勉強してました。友達ともほとんど連絡取ってなかったし、本当に勉強しかしてなかったですね。

そこはすごいですよね。フリーターって聞くと、もう少し力を抜いた時間を想像しがちなんですけど、全然違いますもんね。

勉強自体にそこまで抵抗がなかったのもあると思います。

僕、中学受験をしていて、小学校の頃はかなり勉強してたんですよ。でも中高ではそこまで追い込まれずに過ごしてたから逆に大学ではちゃんと勉強しようかなっていう感覚があって。

一般的な大学生と、勉強のスイッチが入るタイミングがちょっと違ったのかもしれないですね。

それは今にもつながってますよね。

常に何かしら情報を入れてるし、学ぶことに対して止まらない感じがあるので。

「武器がない」という感覚は、今もあるのか

山本さんって昔から「自分には突出した強みがない」ってよく言ってたじゃないですか。「カメレオンワーカー」とか、最近だと「カオス整備屋」とか。

経営者の会に行って、ちょっと劣等感を抱いて帰ってくるみたいな話もしてましたけど、その感覚って今もありますか。

あります。多分、これからもあると思います。
ただ、最近はそれでいいかなとも思ってるんですよね。

前の代表って本当に優秀だったじゃないですか。僕が知る限りでもかなり仕事ができる人だったし、自分でもそういう自覚があったと思うんですけど。

その人が退任する時に自分の欠点をちゃんとわかってる人の方が、他人に頼れるんじゃないかってちょっと思ったんですよ。

だから、別に完璧じゃなくていいし、僕が苦手なことは得意な人に任せればいい。代表だから全部できなきゃいけない、みたいなプライドはいらないなと思うようになりました。

経理は経理の人に、広報は広報の人にお願いした方がいい。わからないことはわからないし、できないことはできないでいい。

昔は「自分の武器」を何かひとつ持たなきゃいけないと思ってたんですけど、今はそこにこだわりすぎなくてもいいかなって。

武器がないことを克服したというより、武器がなくても別にいいかもしれないって思うようになった、っていう感じですね。

なるほど。

僕はどっちかというと武器を持ちたがるタイプなんで、そこは考え方が違って面白いですね。

だからこそ藤田さんがちゃんと武器を持っててくれると僕はその部分を安心してお願いできるんですよ。それはすごくありがたいです。

能登に向かった時、経営者として何を考えていたのか

次に聞きたいのが能登のことです。

震災が起きて、僕らそれぞれ別の案件も持ちながらもかなり早い段階で現地に入りましたよね。

最初はプロボノで動いてたわけですけど、あの時、会社経営者としてリスクとかコストとか、そのへんはどう考えてましたか。

これ、結構聞かれるんですけど、かなりストレートに言うとあの時はあんまり考えてなかったです。

目の前に被災者の方がたくさんいて、避難されてる方がいて、家屋も壊れてる。

そういう状況を見て「ここで契約前提で動こう」とは思えなかったんですよね。

もちろん結果としては後から契約いただいたんですけど、最初からそれを前提にしてたわけではなかったです。

ただ、経営的にまったく見てなかったかというとそうでもなくて、ある程度キャッシュは残ってたから、数か月ぐらいなら無償でも動けるっていう感覚はありました。

だから会社としてすぐに致命傷になるようなことではないな、という見立てはしてましたね。

ただ、これって僕らが役員だからできたことでもあるんですよ。

僕らはある意味合法的にいくらでも働けるじゃないですか。だから自分たちの時間をそこに突っ込むことはできる。

でも、今後社員が増えた時に同じことができるかというと、そこはやっぱり別の話になります。

たぶん今後は社員には通常のクライアントワークを任せて僕や藤田さんが現地に行く、っていう形になると思います。その方が現実的ですね。

僕も同じ感覚でしたね。「会社は大丈夫だろう」「最悪、自分たちが潰れなければいいか」みたいなところはありました。

でも今後は、自分たちが抜けても会社が回る体制をちゃんと作らないといけないなっていうのは、あの時より強く思ってます。

家族に理解されなかったらモチベーションは変わるのか

あと、災害とか防災の仕事をしてる中で山本さんって娘さんから見てヒーローでいたい、って言ってたじゃないですか。

仮に家族から理解されなかったり「何やってるのかわかんない」って言われたりしたらモチベーションって変わりますか。

それは、1ミクロンも影響しないですね。

しないんだ。

しないです。僕、人にどう思われたいとかあんまりないんですよ。

昔、大学の時に仲のいい友達から「純平ってなんでそんなに冷酷なの」って言われたことがあるんですけど、たしかに人の感情とか価値観にそこまで左右されないタイプだと思います。

だから、僕は僕のやりたいことをやるだけなんですよね。それについてくるかどうかは周り次第。家族が応援してくれたらもちろんうれしいですけど、それを説得しにいくかというと、ちょっと違う気がする。

もし応援してくれないなら「最初の敵、こんな近くにいたのか」って感じるかもしれないです。

そこは僕も似てるかもしれないですね。人にどう思われるかで大きく動くタイプではないので。

一度離れたITの世界に、なぜもう一度戻ったのか

その流れで、山本さんがどうやってITの世界に戻ってきたのかも聞きたいです。

もともとエンジニアで一度挫折してるわけじゃないですか。そのあと法律の勉強をして、異業種に行って。

そこから、どうしてもう一回ITコンサルに入ろうと思ったんですか。

当時、司法書士の勉強がうまくいかなくて、その後、不動産に就職して、人材紹介にも行ったんですけど、その時に林さんから突然メッセージが来たんですよ。

「この論文のテーマにかなり近い案件のコンサルをやっているから、一緒にやらないか」って。

それまでのキャリアって全部違う業界なんですよ。

不動産も人材紹介もベンチャーで、営業も経理も入金督促もマーケティングもキャリアコンサルもやったし、とにかく何でもやるポジションだった。

だから、特定の業界にどっぷり染まってたわけではなかったので業界を変えること自体への抵抗はそんなになかったんです。

それに加えて僕は大学院で「雰囲気をデジタル化する」っていう研究をやってたんですよ。当時は前例もほとんどなくてそのテーマに関してはかなり孤独にやってた感覚があった。

そんな中で「そのテーマに近いことを企業でやってる人がいる」と知ったんです。しかも村田製作所みたいな会社で検討されてるって聞いて「え、そんなことあるの」ってなりました。

だから「ITコンサルをやろう」って言われたから飛びついたというより、自分が長く向き合ってきたテーマの続きをやってる人たちがいるんだったら、一緒にやりたい、そっちの方が強かったですね。

その研究って学部から大学院まで4年ぐらいやってたんですけど、当時の技術だと限界もあって。それで一旦区切ったんですけど、自分の中では終わりきってなかった。

だから「このメンバーなら次のステップに行けるかもしれない」と思えた時に、ワクワクの方が勝ったんだと思います。

なるほど。

挫折した業界に戻ったというより、自分のテーマの続きを見つけた感覚だったんですね。

そうですね。そっちの方が近いと思います。

ウフル時代の藤田と、今の藤田はどう違う?

最後に僕自身のことも聞かせてください。

ウフルで知り合ってからもう10年近い付き合いになるじゃないですか。かなり濃い時間を一緒に過ごしてきたと思うんですけど、ウフル時代の僕と、今『ワークログ』で一緒にやってる僕ってどう見え方が変わりましたか。

これからどういうふうに一緒にやっていきたいですか。

ちゃんと真面目に言うと、ウフルの時の藤田さんと今『ワークログ』で一緒にやってる藤田さんでは印象はかなり違います。

ウフル時代の藤田さんはやっぱりエンジニアだったんですよね。

エンジニアっぽく、ちょっと一歩引いたところから支えてくれてる感じがあった。

「このプロダクトを作るならやります」「前の代表がやるって言うならついていきます」みたいな、後ろから支える立ち位置に見えてました。

でも『ワークログ』になって、特に2人でやる体制になってからは徐々に単なるエンジニアじゃなくて経営者として一緒に考えられる人になってきたと思ってます。

売上をどうつくるかとか、会社をどうしていくかとか、そういう視点でディスカッションできるようになった。そこが一番大きい変化ですね。

その上でこれからどうしていきたいかで言うと、僕はもっと藤田さんのカラーを『ワークログ』の中に出したいと思ってるんです。

今、防災の仕事って神奈川県とか能登とか、表に出しやすい実績も増えてきてるんですけど、あれってどっちかというと僕のやりたいことに藤田さんを巻き込んでる感覚が少しあるんですよ。

藤田さんはずっと自社サービスやりたいって言ってきたし、PMとして信頼されてる強さもある。だからもっとそっちの色を外に出していきたいなと思ってます。

今回、個人サイトを立ち上げようとしてるのもそういう意図がありますね。

その先に『ワークログ』がどうなってるかは、正直わからないです。でも僕はあんまりきれいなビジョンを決めきるよりちょっと混沌としてる方が面白いと思ってて。

会社そのものよりも、まず2人の色が強くあって、そのあと3人、4人と強い個性を持った人たちが集まって、その人たちがいる箱として『ワークログ』がある。

そういう形の方が僕はしっくりきます。

ありがとうございます。分析もされてるし、愛も感じました。

僕らって会社という箱に縛られすぎないでやろうとか、会社を踏み台にするぐらいの感覚でいいんじゃないか、みたいな話もずっとしてきたじゃないですか。

そういう意味では現在まで、そしてこれからも目指してる方向はちゃんと一致してるんだなって改めて思いました。

そうですね。頑張りましょう。

はい。今日はちょうど聞きたかったことを一通り聞けたかなと思います。

藤田知宏

ワークログ株式会社 取締役(CTO)

山本純平

ワークログ株式会社 代表取締役

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