OVERVIEW
「神奈川にいる場合じゃない。金沢だ」
2024年1月、能登半島地震が発生。神奈川県のつながりから一本の連絡が入り始まったのは“災害関連死をゼロにする”ための防災DXプロジェクト。医療チームや自治体と連携しながら情報を可視化し、支援をつなぐ仕組みづくりに挑みました。
なぜ民間の小さなチームが命に関わる現場の中心に入ることができたのか。そして無償から始まったプロジェクトがどのように継続的な支援へと変わっていったのか。
リクライブ編集長・二宮との対談を通じてその始まりと現場のリアル、そして防災DXの現在地を紐解きます。
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山本純平
ワークログ株式会社 代表取締役(CEO)
1987年生まれ。2019年にワークログ創業。神奈川モデル企画や自治体DXを推進し、能登半島地震でも防災DX支援。官民連携で現場課題の解決に挑む。
最近、“カオス整備屋”を名乗り始める。 -
藤田知宏
ワークログ株式会社 取締役(CTO)
1981年生まれ。SIerとして事業会社でWeb・組込開発、社内システム開発、BPR/PMIなどに幅広く携わったのち、IoTプラットフォーム開発にも参画。2019年にワークログ株式会社の創業メンバーとして参画し、取締役CTOに就任。
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二宮翔平
リクライブ編集長
リクライブ編集長。1991年福島生まれ。4,000本超の動画・Podcastを制作するインタビュアー兼コンテンツプロデューサー。
能登半島地震が発生。
ワークログ山本が金沢に呼ばれる。
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山本
2024年1月2日に能登半島地震が発生して、ニュースを見ながら「かなり被害が大きそうだな」と感じていました。
ただ、こちらから勝手に現地へ行くわけにもいかず、その時点では何もできずにいたんです。
大規模災害が起こると被災地を支援するために他の自治体へ応援要請が出ることがあります。今回も1月7日頃に神奈川県のCIOである江口さんから電話をいただきました。
「神奈川行ってる場合じゃない。金沢だ」と。
江口さんは防災DX官民協創協議会(BDX)の理事も務めていて、今回BDXとして石川県の支援に入るという意思決定がありました。僕もその一員として現地に向かった、というのが始まりですね。
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二宮
藤田さんはその時どんな感じだったんですか?
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藤田
僕も年末年始の休暇中で、車で移動している時に通知が入って地震を知りました。
テレビを見られる場所に着くか着かないかくらいのタイミングで山本から連絡があって「これは動かないといけないかもしれない」と話していたんです。
最初は「まずは山本が現地に行く」という話で「状況を見て、必要そうだったら自分も行くよ」と伝えていました。
そこから1〜2週間ほどして「これはITエンジニアが必要そうだな。とりあえず自分も行くわ」となって現地に向かいました。
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二宮
当時、そもそも何で呼ばれたんですか?
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山本
災害発生直後に全国から派遣された医師や看護師のチームであるDMATが、石川県庁内に対策本部を設置しました。
僕たちはそこに支援として入り、高齢者施設の被災状況を把握しながら「どこを優先して支援すべきか」「今どのような状況にあるのか」を見える化するツールを作っていました。
ただ、こうした現場では課題が次々に出てきます。
実際、1週間も経たないうちに新たな課題が生まれてきて「これは一人では抱えきれないな」と感じたんです。そこで藤田さんにも入ってもらいました。
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二宮
なるほど、藤田さんは最初から来る予定ではなくてプロジェクトとして呼ばざるを得なかったんですね。
藤田さんは、その時どういうお仕事をしていたんですか? -
藤田
私は防災よりも一般企業向けのいわゆる受託開発ですね。
ウェブシステムを作ったり、そのディレクションマネジメントをしたり。そういう案件をたくさん抱えていました。
ミッションは「災害関連死ゼロ」
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二宮
今回のミッションって何だったんですか?
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山本
一言で言うと災害関連死ゼロを目指すことですね。
それが僕ら防災DXチームの目指すところです。
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二宮
災害関連死とは?
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山本
例えば、地震で家が倒壊してその下敷きになって亡くなるのは直接的な被害なんですけど、一方で避難所で生活する中で設備が整っていなかったり、必要な搬送がされなかったりして亡くなるケースがあるんです。これがいわゆる災害関連死ですね。
そういうのを防ぐためには「誰にどんな支援が必要なのか」をちゃんと情報として把握しておく必要があります。
現場では分かるんですよ。「この人ちょっと危ないな」とか「すぐ搬送した方がいいな」とか。
でもその情報が県庁の対策本部や医療チームにきちんと伝わっていないと手遅れになってしまうことがある。
だから現場の気づきと支援する側の判断をつなぐ仕組みをつくる、それが僕らの役割でした。
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二宮
山本さんが能登半島地震に関わったのは神奈川県のコロナの件の対応があったからなんですか?
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山本
そうですね。江口さんとは神奈川県のコロナでご一緒していたので、それがきっかけですね。
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二宮
実際に石川県でどんなことを行ったんですか?
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山本
最初のミッションは高齢者施設の被災状況を確認・可視化・把握することでした。
DMAT事務局の方と話をしながら「どんな情報を管理するのか」、「どういうふうに見えたら判断しやすいのか」などコミュニケーションを取りながら仕組みを作っていきました。
紙から始まる防災DX
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二宮
実際、どうやって仕組みを作っていたんですか?
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山本
相手はお医者さんなのでITに慣れているわけではないんですよ。
だからホワイトボードや紙の裏にぐちゃぐちゃっと書いてもらって、それを見ながら「たぶんこんな感じかな」と形にして、システムに落とし込んでいきました。
本当に、そんな作り方でしたね。
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二宮
そのシステムは実際にちゃんと使われたんですか?
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山本
D-MATの方々に結構しっかり使ってもらってました。
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二宮
藤田さんは現場に履いてどうでしたか?
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藤田
現場では山本と一緒に動いていました。
まず最初に課題になったのが「誰がどこにいるのか」をどうやって把握するか、ということだったんです。
人の動きをどのタイミングで捉えるかを考える中で、Suicaのようなカードを使ってピッピッと記録できたらいいんじゃないか、という案が出ていました。
そこで関係者の方々に話を聞きながら自分たちなりに考えた案を持っていって、そこからさらにいろんな人と会話しながら詰めていく、という形で関わっていきました。
結果的にSuicaを活用する仕組みは実現しました。
その後は「誰がどこにいるのか」を管理する画面や、データの持ち方を開発していきました。
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二宮
ノーコードツールですか?
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藤田
そうです。サイボウズのkintoneを使って、山本と一緒に他のメンバーとも話しながら「どういう情報が必要か」「どう連携するか」というのを詰めて作っていました。
現場には20社以上が集結
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二宮
現場にはワークログの他にもDXやIT系の人っていたんですか?
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山本
LINEヤフーとかSAPとかPwCとか20社くらい来ていたと思います。
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二宮
その中でのワークログとしての立ち位置は?
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山本
僕らは現場の方が使うデータ入力画面を担当していました。
そこで入力されたデータを別のシステムに連携して全体の状況を見える化していく、そんな役割でした。
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藤田
私の場合はその中で他社のエンジニアの方々と連携しながら全体のアーキテクチャをどう設計していくか、という部分を担当していました。
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二宮
これ、無償なんですよね?
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藤田
無償です。
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二宮
ボランティアとはいえ通常業務もありますよね。
何か月くらい石川県にいたんですか? -
山本
そうですね。有償契約になったのが7月頃だったので、無償で関わっていた期間としては6か月くらいですね。
ずっと現地に滞在していたわけではないけど、現地に出入りしていたのは3月頃まででした。
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二宮
実際に現場は見られたんですか?
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山本
現地にはそこまで何度も入れたわけではないんですが、その後7月頃にあった奥能登豪雨の時には実際に行きました。
その時は二次避難所に案内する際のチェックインシステムをDX支援の一環として作っていました。
具体的にはマイナンバーカードを読み取って個人情報を取得し、あわせて健康状態やご自宅の状況を入力してどこに案内するかを管理できる仕組みです。僕は、そのシステムの運用支援に入っていましたね。
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二宮
あの年は大きな災害が2件同時的にあったと思うんですが、どんな流れだったんですか?
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山本
発災直後の1月から3月頃までは地震対応が中心でした。ある程度落ち着いてきたあとも3月から6月にかけては僕らが作った仕組みを使いながら情報収集を続けていました。
それまで無償で対応していたものがようやく夏頃にサービスとして有償化されて、金沢で継続的に使っていく流れになったんです。
ちょうどそのタイミングで能登豪雨が発生して結果的にそのまま引き続き僕らも関与していくことになりました。
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二宮
結果的にどれくらい関わっていたんですか?
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山本
有償契約をいただいてからまだ運用が続いているので、そういう意味では2年くらい関わり続けていますね。
防災DXの現状
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二宮
お金が発生しない期間は結構しんどかったと思うんですけど、それでもそこまでやれたのはどうしてだったんですか?
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山本
防災DXってまだ市場としてはかなり小さいんですよ。
正直こういう場面で僕に声がかかること自体、ちょっと異常だなとも思っていて。人の命に関わるような現場で「本当に俺でいいんですか?」っていう感覚はありましたし、「もっと大手の会社があるんじゃないですか。うちでいいんですか?」というのは自分でもずっと思っていました。
それでも実際に声がかかるのはこの領域で経験を持っている人が本当に少ないからなんです。
なぜかというと防災DXはプロボノ中心になりやすくて企業が事業として入りづらいんです。
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二宮
企業が手を出しにくい領域にワークログが関わることのメリットもあると思いますし、ミッション性やビジョンにもつながる部分があるのかなと思うのですが、そのあたりはどう考えているんですか?
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山本
僕自身、これまでいろんな業界を見てきてどの業務でもある程度そつなく対応してきた感覚があるんですよね。
会社を立ち上げてからはノーコードツールも活用しながら要件定義からプロトタイプを作って、実際に運用に乗せるまでをかなり早いスピードで回せるようになりました。それが、自分たちの強みなのかなと思っています。
そこに防災という領域がうまくハマった感覚がありました。
だから基本的には「求められたら最大限やる」というスタンスですね。正直、それがすぐ事業につながるかどうかは分からないですけど、最悪これだけ一生懸命やっていればどこかで誰かが拾ってくれるんじゃないか、くらいの感覚でやっています。
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二宮
藤田さんは?
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藤田
私の場合はもうすごくシンプルで「何かしら助けになるなら、とりあえず行く」という感覚なんですよね。
ノーコードでもやりますし、必要ならコンサルのような立ち回りもする。お金がどうこうというよりその時に自分ができることをやる、という感じでした。
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二宮
実際、今はどういう形で支援が続いてるんですか?
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山本
今はご契約をいただいているので、作ったシステムの運用を通じて関係が続いています。復旧や復興には2〜3年かかるので、今もそのシステムは使われているんです。
仮設住宅にお住まいの方への定期訪問の情報もそこで管理しているので、おそらくあと1年くらいは使われていくんじゃないかなと思います。
これからの防災DXとの関わり方
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二宮
大きな地震は年に何度も起こるものではないですし、対応に慣れている人もまだ多くはないと思います。
そうした中で今後ワークログとしてはこの領域でどのように立ち回っていこうと考えているんでしょうか? -
山本
今は、神奈川県CIOの江口さんと一緒に「耐災害デジタルコーディネーションセンター」という組織を立ち上げて、民間企業として防災支援の事業に取り組んでいます。
これまではBDXの会員という立場で関わってきましたが、これからはもう少し前に出て先陣を切って動いていくような立場になっていくと思います。
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二宮
お二人とも普段の業務があると思うんですが、こうした防災の案件はその都度アドオンで対応していく形になるんですか?
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山本
体力が続く限りはそうですね。
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藤田
普段からかなり余裕があるわけではないですが、基本的にはアドオンで対応していく形ですね。
ITの領域だとリモートでできることも多いのでまずは遠隔で対応できることから回してもらいます。
日本は地震が多いですし、災害が起きた時に国内で動ける山本だけでは回らない場面も出てくるかもしれません。
そういう時には近隣諸国にいて災害対応の経験もある私が動ける可能性がある。そうした体制や仕組みも必要だと思っているので、リモートだからこそできる備えは今後しっかり整えていきたいと考えています。
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二宮
今回の能登の支援での成果ってなんですか?
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藤田
実は、能登で対応したアセスメントを収集して可視化してというサービスを金沢では「ワークログ」と呼んでいるんです。
なのでワークログという会社でもありつつ、作った仕組みをワークログと呼んで、石川県が有償契約して使用いただいています。
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二宮
そのネーミングは、どういうことですか?
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山本
石川県の方につけていただきました。
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藤田
もともとプロボノで入っていたのでそのあたりを気遣っていただいて、純粋に会社名を出すというよりもサービスの名前として「ワークログ」と名付けていただいたという感じです。これも成果のひとつかもしれないですね。
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二宮
なるほど。会社名がサービス名になるのは嬉しいですよね。
こうした災害に民間企業が入り込むことは珍しいことなんですか? -
山本
そうですね。今回大きいのは、20社もの民間企業がDXで災害現場に入ったっていう事例ができたことです。デジタル庁も今回初めて災害に派遣されたんです。
これは、ワークログとしても、災害対策、防災DXにおいても大きな成果だったと思います。