OVERVIEW
海外・医療・DX…幅広い領域のプロジェクトに携わりながらも、その全貌が一言では語れない会社「ワークログ」。創業から数年、受託開発やノーコード導入支援を中心に裏側の現場で課題解決を担ってきました。
そんなワークログの転機となったのが、2020年新型コロナウイルスの混乱が国内で広がり始めた時期。神奈川県の対策本部から突然声がかかり、資料作成から始まった支援は、のちに「神奈川モデル」と呼ばれる対策の土台づくりへと発展します。
公共・医療の実績がほぼなかった山本がなぜ現場の中心へ入ることができたのか。今回は、リクライブ編集長の二宮と対談しながら、その始まりと舞台裏をお届けします。
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山本純平
ワークログ株式会社 代表取締役(CEO)
1987年生まれ。2019年にワークログ創業。神奈川モデル企画や自治体DXを推進し、能登半島地震でも防災DX支援。官民連携で現場課題の解決に挑む。
最近、“カオス整備屋”を名乗り始める。 -
二宮翔平
リクライブ編集長
リクライブ編集長。1991年福島生まれ。4,000本超の動画・Podcastを制作するインタビュアー兼コンテンツプロデューサー。
突然、「県庁に来い」と言われた
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二宮
コロナ対応に関わることになったきっかけは?
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山本
本当に突然だったんですよ。
「明日、県庁に来い」って言われたんです。神奈川県庁です。
当時、医療のことも知らないし、何をするかも知らされていなかったんですけど、とりあえず向かいました。ちょうどダイヤモンド・プリンセス号のニュースで日本中がざわついていた頃ですね。
現地に行ったら、名刺交換した瞬間に「今こういう状況で、これからこういう問題が起きるから、資料にまとめてくれ」と10分くらい説明されて、そのままどこかに行っちゃって。
誰も知らない大きめの部屋で、ひとりで資料を作り始めました。
言われたのは「とりあえず資料化してくれ」だけ。
僕は10分で聞いた話を思い出しながら3時間ぐらいで資料を作りました。
その後ブラッシュアップして統括官に渡したら、数十分後には知事に上がっていて、週末には厚労省にも共有されていました。
神奈川県新型コロナウイルス感染症対策本部の様子
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二宮
その資料が後の“神奈川モデル”なんですね?
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山本
そうです。僕が最初に作った資料がベースになって、「神奈川モデル」と呼ばれるコロナ対策の概念図になり、全国に広がっていきました。
最初は企画レベルで、紙ベースの概念でしかなかったんですが、5月以降はそこにITを組み合わせていくフェーズになりました。
神奈川モデル始動!
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二宮
まず、何からやっていったんですか?
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山本
最初に担当したのは「感染防止対策取組書」です。
緊急事態宣言が明けて飲食店が営業を再開するタイミングでリリースしました。
正しい感染対策が分からない、デマ情報も多い。だから県として事業者に“これをやってください”という正しい対策を提示した上で営業再開して欲しかったんです。
Webフォームで対策を入力してもらい、認定証を発行して店頭に貼ってもらう仕組みですね。他にも発熱等診察予約システムなどの仕組みも構築しました。
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二宮
「この対策をやろう」と決めたらすぐに動かないといけないですよね?
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山本
そうですね。1週間とかで速攻動いて作り上げます。
- 企画書を作る
- ↓
- 統括に提出
- ↓
- 「じゃあプロトタイプ作っといて」
- ↓
- 次の日にはエンジニアモードに切り替えて作る
- ↓
- 次の週にリリースして運用
- ずっとこの高速サイクルでした。
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二宮
次に取り組んだ「搬送調整支援システム」とはどういうものですか?
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山本
これまで病院間の調整はFAXと電話でやっていて、地域ネットワークの外に出ると調整に1〜2日かかる。コロナでどこも満床になる中、これは限界でした。
そこで、患者さんのデータベースを作り、受け入れ可能な医療機関に一斉に共有したり、県のオペレーターが一括調整できるようにしたんです。結果、調整にかかる時間が数時間まで短縮されました。
神奈川県新型コロナウイルス感染症IT班上村氏と
コロナの危険性が落ちていく
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二宮
その後も1年以上色々動いてますよね。2022年には「自主療養証明管理」システム開発ですか。
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山本
2022年頃は、コロナのリスクが下がってきて、「病院に来ないでください」という状況になりました。抗原検査キットの普及で、自宅で判断できるようになった。
ただ、会社に「本当にコロナなの?」と言われてしまう問題もある。それを防ぐために、検査キットの陽性画像を提出してもらい、県として「自主療養証明」を発行する仕組みを作りました。
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二宮
その一年後にはデジタル戦略本部室DX推進アドバイザーに就任されてますね。
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山本
それはコロナの文脈ではないんですけれど、その頃には対策本部の組織も縮小されはじめて、元の部署に戻った人たちから「こういうの作れませんか?」と声をかけてもらえるようになりました。
そこから神奈川県だけじゃなく、大阪府、石川県、厚労省など、公共領域の案件が一気に広がっていきました。
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二宮
他のIT企業もいたはずなのに、なぜ山本さんがここまで深く入り込めたんですか?
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山本
僕みたいに“内部スタッフに限りなく近い位置”で動いていたのは、もう1人いたくらいだと思います。その方も最初は巻き込まれたんですけど、長期的には僕だけが残りました。
コロナがきっかけでワークログが変わっていく
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二宮
今回のプロジェクト参加以前のワークログは何をしてたんですか?
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山本
元々は受託開発の要件定義とか、ノーコードツールの導入支援などを行っていました。
うちはエンジニアをたくさん抱えているわけではないので、上流工程で会議のファシリテーションや、お客様の要望を聞いて資料に落とす形で関わることが多かったですね。
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二宮
なるほど、そこが強かったから対策本部でも活躍したってことなんでしょうね。
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山本
僕、得意なことってなくてスペシャリストじゃないんです。
全部平均点なんですよ。学生時代、オールB取ったことがあって。唯一体育だけCでした。よく言えばユーティリティ、悪く言えば中途半端なんですね。
だから「どこに行けばハマるんだろう?」と思っていたんですけど、防災とか災害対応はまさに“平均点の総合力”が必要で、僕にはすごく合っていました。資料も作れるし、ノーコードで仕組みも作れるし、スピードも出せる。100点はいかないけど、70点を最速で出すみたいな能力が求められる領域なんです。
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二宮
今回のコロナの事が走りでワークログが変わっていった感じなんですか?
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山本
ようやく会社としての色が出てきた一番最初のきっかけが、コロナでしたね。ただ、ボランティアで入っていたので、我ながらよく県にベットしたなって思いますけどね。
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二宮
え、じゃあお金ってどうなっていたんですか?
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山本
契約とか稟議とか時間かかるでしょって言って「とりあえずいいよ」みたいな感じで最初の2か月ぐらいは本当にほぼなかったです。
途中個人で一瞬契約はしましたけど、本当に夜2時まで働いたりしていて、周りの人が「あいつ誰…?かわいそうじゃね?」みたいな空気になってました。
7月にようやく会社として初めて契約していただきました。
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二宮
今のクライアントは全体的にどういう感じなんですか?
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山本
今は、企業さんからの案件と公共案件、神奈川県、厚生労働省さんなどの案件が半々ぐらいですね。量、金額なども基本的に受託開発だと人工で出すので金額と比例します。
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二宮
ワークログという会社の事がわかってきましたよ。コロナ対策のプロジェクトがきっかけで変わっていったんですね。
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山本
そうですね。日陰を歩いてたのが少し明るみに出てみようかなと、少しだけ胸を張ってもいいのかなと思えるようになりました。だから今も動画録ってるんだと思います。
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二宮
ワークログの強み、共通点はありますか?
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山本
うちのメンバーは、お客様に対して言いたいことを言っていますね。めっちゃ文句いいます。逆に気を使いすぎるとうまくいかないことが多い気がして、むしろ素直に言った方が価値を出せる領域なんだと思います。